山菜そばでおなかもいっぱい。
いってきま~す!
♪Emi♪
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暑い・・・
30度は確実に越えている。
表参道の矯正歯科からオリエンタルバザーまで、
テクテク歩いた。
海外に行く時には必ず立ち寄るお店である。
ただ今改装中で、ちょっと狭い。
あまりの暑さに耐えかね、コーラを買った。
電車の中で飲もうと思い、キャップを開けたら・・・
バンッ!!
すごい音がした。
周りの人たちはビクッとし、こっちを見ている。
すみません・・・
以前、友人に頼まれて、
刀を持ってアメリカに行こうとした。
成田で止められ、みんなの前で開封された。
テロの前だったし、
預ければ問題はなかった。
「危険物所持者」というカードにサインさせられた・・・
まぁ、確かにそうだけど、
もうちょっといい表現ないの?と思ったものだった。
コーラも時には危険物です。
気をつけましょう・・・ 続きを読む
「パパ」といっても、うちの親父のことではない。
あたしにとっての「パパ」はBernard。
WSで数日間過ごしてからというもの、
私は彼をパパと呼んでいる。
恐れ多くて、気軽に話しかけることができなかった
「偉大なる歌手であり、指導者」のBernardは
実はとても気さくで、かわいくて、魅力的な人物だった。
毎日何通もメールが来ていたのに
ある日突然それが来なくなった。
おかしいなぁ・・・と思っていたら、知らない人からのメールが。
「おはよう、Emi。これは姪っ子のPCからのメールです。
僕のPC、壊れちゃったの。Faxしようとしたんだけど
送信できなかった・・・」
それが約10日前。未だにPCは直らず
私たちはFaxでのチャットを楽しんでいる。
パパはNYツアーにも合流してくれるのだが
「車で行くんだけど・・・僕NYはあんまりわからないんだ。」
だと。
あたしの方がわからないっちゅうの!!
私たちは無事に会えるのだろうか・・・
パパって、くまさんみたいだと思わない?
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今日は久しぶりに礼拝に出席。
しかも、オルガンを弾かずに、普通に参加してみた。
(始まるギリギリに到着したので・・・)
YIBCでは第3日曜には聖餐式がある。
「彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えていわれた。
『取って食べなさい。これはわたしのからだです。』
また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。『みな、この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。』
罪をゆるすために多くの人のために流されるものです。」
(マタイ26-26、28)
イエス様が私たちのために
ご自分の体を犠牲になさってくださった・・・
それを改めて感じる瞬間である。
が!!いつもはオルガンを弾いているので
時々パンが来なかったり、ぶどうジュースがこなかったりする。
そして、音楽のタイミングなどを考えているので
あまり気持ちが入らないこともある。
ところが、今日は全然違った。
はぁ・・・と涙がこぼれてしまった。
この1週間、いろいろつらかったし、
それでも私は支えられていると強く感じていた。
こんな私のために・・・と思ったら、涙が出てきた。
そして、午後は日本語礼拝。
午前の礼拝に引き続き、keicoとかずは素晴らしい賛美だった。
最後に「7,8月は夏休みということで、日本語礼拝はお休みです。」
というアナウンス。
あ!!今日はライト先生が行う、最後の日本語礼拝だったんだ!!
終わってから気づいた。
先生は8月いっぱいでYIBCを去る。
何も考えずにピアノの奉仕をしていたけれど
なんだかこれもジーンとしてきた。
場所が変わったとしても、
これからも共に礼拝し、賛美をささげていくだろう。
来年の今頃はどんな礼拝をしているのかな・・・なんて
ちょっと考えてみた。
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NYツアーまであと数日。
今日は最後のリハーサルだった。
旅行会社の説明会も兼ねていて、
非常におもしろい質問があったが・・・
彼女の名誉のために内容は伏せておきます。(笑)
パスポートさえあれば、とりあえずは何とかなるかも。
事件、事故のない、祝福に満ちたツアーとなりますように。
ちなみに、私のパスポートは結婚前に作成。
申請所に2時間も並び、ようやく受付!と思ったら
「このまま10年のパスポートを作ってもいいんですか?
結婚しても、名前変えるのは大変ですよ!」と言われた。
「じゃぁ、5年のものに変えるとしたらどうすれば・・・」
「もう1回並んでください。」・・・(-_-;)
実際、旧姓の訂正だと面倒なことも多い。
「See page 4」とか書いてある注意書きも
あまり目立たず、時々説明が必要。
名前は変わっても、サインはそのままなので
それも面倒かもしれない。
これから結婚予定で、パスポートの申請をする皆さん、
入籍してから作成した方がいいかもよ~
明日は久しぶりにYIBCへ。
景子とかずがSpecial Musicを演奏します!
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小さい頃はエレクトーンの先生になるのが夢だった。
YAMAHAの専門コースに通い、
中学1年の時点で演奏グレード5級を取得し、
あとは指導者グレードのみ・・・と思ったら
なんだかつまらなく思えてしまった。
芝居でもやってみようかと思った。
大好きだった担任の先生に
「劇団ひまわりのオーディション受けてみれば?」と言われ
すっかりその気になるものの、
田舎者ゆえにどうしたらよいかわからず、あきらめる。
小さい時から音楽だけは誰にも負けないくらい得意だった。
とりあえず音大に入ろう!それから何になるか考えよう!
そんな風に考え直して、音大に入った。
苦労して入学したくせに、
クラシックが性格的に合わないことが判明。(笑)
卒業と同時にプロデューサーについて
コーラスグループの一員となる。
自由に歌えないことに疑問を覚え
そこから脱出し、自分でなんとかしようともがく。
たまたまミュージカルを観た。
「これだ!!」と思った。
歌も芝居もあって、私にはぴったり!
と思ったものの、なんとなく踏み込めなかった。
今でもミュージカルを観る度に
本当はこれじゃないの!?と思ったりする。
今日も宮本亜門さんの番組を偶然見て
「これ!!」と思ったけれど、そこまでで終わり。
予備校の同級生や
昔一緒に住んでいた友人は、
亜門さんのミュージカルに出演している。
いいなぁ・・・と思うこともあるけれど
やっぱりあたしはゴスペルなのかなぁと思う。
そういえば、亡くなった恩師もミュージカルに出演していた。
あたしもいつか・・・なんてないだろうな。
ゴスペルミュージカルだったらありかしら???
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この日記、結構反響が大きくて
ちょっと驚いている。
毎日感想メールが届き、思わぬ感想が聞けたりして
それがとてもうれしい。
まぁ、たまにへこむこともあるけれど・・・(笑)
ここ数日間は、たくさんの励ましメールが届いている。
まだまだ悲しい気持ちは消えないけれど
それでもみんなに支えられていることを実感できて
感謝。
そして、みんなと出会わせてくれた神様にも
感謝、感謝。
これからも、いろんな出会いと別れがあると思う。
いっぱい笑って、いっぱい泣いて
いつでもあたしらしさ全開で生きていきたい。
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伊勢原の駅に降り立った瞬間、
10年近く前の感覚が一気によみがえってきた・・・
ホームレッスンに通ったあの学園は
この角を曲がると見える。
でも、それを見ることが私にはできなかった。
卒業と同時に、私は恩師との連絡を絶っていた。
クラシックの世界から抜け出したくて、
先生とのしがらみから抜け出したくて、
私は違う世界に行きます!と宣言して、離れていった。
あの頃の私は、何か新しいものにチャレンジすることに必死だった。
もがきながら出会ったのがゴスペルだった。
そのことは間違いじゃなかったけれど、
今思えば違う探し方もできたんじゃないかな・・・と感じる。
何も先生との連絡を絶つこともなかったのかもしれない。
先生は私の歩む道を応援してくれたかもしれない。
それでも、私は先生から離れてしまった。
そのときはそれしか方法がないと思っていた。
それくらい、私にとってのクラシックの世界は重荷だった。
教会はたくさんの弔問客であふれかえり、
私は教会に入ることもできず、
隣の幼稚園でテレビの中継を見ていた。
大学の教授や先輩方もたくさん来ていた。
私はちょっと苦しくなった。
3人の方が弔辞を読んだ。
1人目は私もイタリアに同行したことがある、先生の親友。
2人目は私の大学の後輩でもある、先生の姪。
3人目は森久美子さん。先生の一番弟子である。
「歌だけじゃダメよ。恋もしなきゃね!!・・・とよく言われました・・・
先生に出会わなければ、今の私はありませんでした。」
そう語る彼女の言葉に、あの頃を思い出した。
先生はまさに「歌に生き、恋に生き」だった。
最期まで独身だったが、いつも素敵な恋をして、
それを自分の歌で表現していた。
おいしいものが大好きで、ニコニコしながらごはんを食べていた。
素敵なドレスを買っては、「いいでしょ!!」と見せていた。
お父様は亡くなっていたので、
いつもお母様に優しくし、週末には温泉に行っていた。
人生を本当に楽しんでいたと思う。
どうしてあの頃、先生と離れてしまったのだろう。
どうして自分のことしか考えられなかったのだろう。
先生が一番つらいとき、そばにいてあげられなかった・・・
悔しくて、つらくて、ずっと泣きながら式を見守った。
ちょうど私が献花をするとき、先生の歌声が流れ始めた。
「先生、ごめんなさい。ごめんなさい・・・
今度会う時は、もっと素直に話せると思います・・・」
先生らしい、素敵な遺影にむかって
私はそうつぶやいた。
帰り道、駅まで来た私は
ちょっとだけ角を曲がってみた。
懐かしい学園が見えた。
私は深々とおじぎをして、駅に戻った。
私は、いつの日かまた先生と会える・・・ 続きを読む
恩師との別れは寂しい。
昨夜、Ouidaにもメールでこのことを伝えた。
「私は悪い生徒だったの・・・
でも、今度天国で彼女に会ったら、
彼女のために歌いたいと思うんだ。」
と書いておいたら、今朝返事が来ていた。
「Emiは先生から学んだことをいかして今ゴスペルを歌っているでしょ?
悪い生徒なんかじゃないよ。
そして、天国で歌う時には、
先生と一緒に歌いなさい!先生と一緒に!!」
朝からちょっとだけ泣いている。
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結婚式の二次会以来会っていない大学時代の先輩から
突然電話が来た。
嫌な予感が的中。
私の大学時代の恩師が亡くなった・・・まだ61歳。
4年間師事していた声楽の先生で、
一緒にイタリアに行ったこともある。
師弟関係というのはいろいろあるもので、
もちろんいい思い出ばかりではない。
どちらかというと苦い思い出ばかりである。
卒業後、クラシックをやめてしまったこともあり
あまりいい別れ方をしていなかった。
時々思い出しては「先生どうしてるかな?」なんて思っていたけれど
わざわざ連絡を取ることはなかった。
2年前に乳がんになっていたことも知らなかった。
大きかった先生がやせ衰えて、別人のようになっていたことも
何も知らなかった。
どんな思いで最期の時を迎えたのか、想像もできない・・・
当時使っていた楽譜を取り出してみた。
こんなにボロボロになるまで使い込んでいたことさえ
すっかり忘れていた。
明日は前夜式。
キリスト教の葬儀に行ったことないんだよねぇ、なんて
数日前に言っていたのに。
先生、いつか天国で会う時には、
私の歌を怒らないで聴いてくださいね。
あの頃よりはまともに歌えるはずだから・・・
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