いよいよツアー最終日。

あぁ・・・帰りたくない



7:30のなので、6時にピックアップだった。

レナードは到着した時よりもひと回り小さいリムジンでお迎えに。

(大きい車が壊れたらしい



あと1ヶ月ちょっとで会えるのに、やっぱり寂しくて泣きたくなった。

空港では「ここでいいよ・・・」と言って、なるべく顔を見ないようにした・・・

ありがとう、Leonard



クリーブランドからNewarkまで移動し、お気に入りのクラムチャウダーを食べる。





ここで次のフライトまで自由にしたら・・・

ボーディングタイムになっても戻ってこない人が何人かいる

しかも、携帯を持っていない人ばかり。

ほとんどの乗客が乗り込んでしまったし、どうしよう



しばらくしたら、のんきに買い物したバックを抱えて帰ってきた。

「ちょっと時間ないよ」と焦っているのは私だけで

本人たちは意外とケロッとしているこれだから引率は嫌だ



機内では横一列に並んでいたんだけど、

その列だけがマスクをしていて、ちょっと奇妙な光景ではあった。

そして、新型インフルエンザのおみやげを持ち帰ることなく、全員無事に帰国しましたとさ。



めでたし、めでたし。 続きを読む
スポンサーサイト



向かった先は、コンヴェンションでもおなじみのバージニアさんのお宅。

なんと、彼女が1人で8時間もかけてソウルフードを作ってくださったの

お庭でフェローシップパーティーです



ワークショップで一緒に歌った人たちも駆けつけ、

まずは私たちを歓迎する歌







レナードが「日本語では、goodのことを『いい~』って言うんだよ!」と教えていたので

リードをとっていたおばちゃんが

You look so good ~というところを、You look so ii~と歌っていた



さぁ、好きなだけ食べなさい。デザートもあるから、その分はお腹をあけておくのよ~と言われ、

私たちはおいしそうなソウルフードをお皿によそった。









席につくと、いつもで写真ばかり撮っていたおばちゃんが、みんなにをくれた。

「早起きして、みんなの分を作ったの。このお人形、マカロニなんだけどね。

Emiは指揮をしていて、みんなは譜面をもって歌っているのよ」と教えてくれた。







ソウルフードが大好きで、アメリカに行く度にアホみたいにソウルフードばかりを食べている私だけど

今まで食べてきた中で、最高の味だった私は本当に感激していた。

そして、「素晴らしい・・・彼女のcookはgift(賜物)だわ。」と言った。

バージニアは、いつもコンヴェンションに来ていたけれど、

クリスタルのお世話をしているおばちゃんという認識しかなかった。

こんなに素晴らしい料理の腕前・・・お店出したらいいのに



食べ過ぎたなぁ・・・と思っていたら、すごいケーキがやってきた。

チーズケーキの上にチェリーソース。

甘そうと思ったのに、これまた最高の味でした。







「バージニア、私・・・あなたの子供になりたいくらいよ。」

そう言うと、彼女は喜んで「わかった。じゃあ、今日からEmiは私の養子よ!」と言った。

ギャグかと思ったんだけど・・・彼女の実の息子たちがやってくると

「ほら、挨拶しなさい。今日からあなたの妹よ。」と、真顔で紹介していた。

「ナ・・・Nice to meet you...



はい、ママと娘です。







その後、レナードの奥さんのマリリンが、2番目のクローエ、3番目のカーリーという2人の娘を連れてきてくれた。

話にしか聞いていなかった、知的障害をもつクローエに会うことができて、私は本当にうれしかった。

そして、生まれながらにして心臓に疾患をもっている長女のクリスタル、

片時も目を離すことができないクローエ、

まだ小さくて、そばにいてあげなければならないカーリー・・・

この3人の娘たちを抱え、レナード一家はすごく大変なのに、愛のある、素敵な家族なんだなぁ・・・と思って、ジーンとしてしまった。



クローエは、初めて会った私には近づこうとはしなかった。

レナードがクローエにごはんを食べさせている隣で、私はカーリーにごはんを食べさせていた。

いつもは私にべったりのクリスタルだけど、他の日本人のお姉さんたちと遊んでいた。



穏やかな時が流れ、何度も涙があふれそうになった。

こんなにしてもらえて、ホントに幸せだと思った。



途中、空にをみつけ、みんなで空を見上げていた。

そこにクローエがやってきたので、

「クローエ、見てごらん。虹だよ~」と話しかけ、空を指さした。

すると、クローエは空を見上げて「plane(飛行機)」と言った。

私が空をよく見たら、虹よりも小さくて、みつからないくらいのが飛んでいた。

「ほんとだ・・・クローエ、あっちは虹だよ。」と言ったら

「rain...bow...rain...bow」と何度か繰り返し、私の腕の中で虹を指差してくれた。

やっと打ち解けることができたみたい。



こっちはやんちゃなカーリー。







なかなか空が暗くならないけれど、すっかりいい時間になってしまった。

明日は早朝のフライトなので、パッキングもしなければならない。

そろそろお別れの時。



レナードに、この数日間の謝礼+みんなからのカンパをあげた。

あとでその金額を知ったレナードは驚き、「なんてことだ・・・」と言いながらも、喜んで受け取ってくれた。

これで、すっぽかされたゲストのエアーチケットの支払いもできるし、おつりもたっぷりくるはずなのだ。

少しは役に立てただろう。



ママにも、他の何人かにも、ラスベガスで会える私。

「See you in Vegas !」と言って、ハグをした。

ママは「何日に行くの?何時に着くの?」と聞いてきた。

どうやら、空港に到着するのもほぼ同じ時間らしい。楽しみだ。



素晴らしいフェローシップをありがとう



続きを読む

いつも参加しているコンヴェンションは、Mass Choirのコンサートをもって、全てのスケジュールが終わりとなる。

コンサートが終わるのは深夜0時くらいで、翌朝目覚めると、もう既に出発してしまった人なんかもいて、前日までの賑わいが一転、とても寂しくなってしまう

バイバイも言えずにお別れする人たちもいっぱい。



ところが、今回はコンサートが終わってもみんなに会える。

それだけで、私にとっては贅沢なことだった。

レナードに「コンサートでお別れじゃないから、なんかうれしいの」と言ったら

「ホントだね!」と言ってくれた。



朝はマイケルの教会の礼拝に参加することになっていた。

マイケルは牧師で、自分の教会もやっていたんだけど、奥さんが癌になり、自分の教会での働きをやめた。

今は他の教会でMusic Ministerとして働いているという。

これがその教会。「Mount Zion Fellowship」







ミュージシャンとしても尊敬しているマイケルがリードしている教会のchoir。

素晴らしくないわけがないんだけど・・・さすがだった

いやぁ、この礼拝にみんなを連れてくることができてよかった



メッセージは、エペソ6:10~

「主により頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。」という内容。

パウロは誰が自分を導いているか知っていた。

だから、牢獄に入れられたり、ムチで叩かれたりしても歩み続けることができた。

神は道を切り開いてくださる。Jesusはおっしゃった、「I am the way, truth and life.」と。

だから何があっても賛美をやめてはいけない。

たとえ困難な時にあったとしても、神は私たちの避け所であり、力である。

・・・という内容だった。



礼拝後、大喜びのマイケル。

「僕の教会に、日本から仲間がやってきてくれた・・・」と。

もちろん、大好きなキャンディーをいっぱいもらったのもうれしいらしい。







この後、お待ちかねのフェローシップタイム!

ホテルに戻って着替え、でかけることになり車に乗り込む。

しかし、どこに行くのかよくわからないまま・・・おなかぺこぺこ

続きを読む

いよいよコンサート。

白い衣装に着替えて、教会のVanでLee Memorial Churchへと向かう。

リハーサルはない。みんな、日本語で歌えるのかな・・・と若干不安



すると、懐かしい顔が。

「Morgan

NJの教会のパスターで、毎年コンヴェンションで会っているMorganが来たのだ。

「久しぶり~」テンション上がってくるわ。

そっか、MorganがMCをしてくれるんだね。







前の方に移動するように言われ、移動した。

すると、「Emi~」という声が。

コンヴェンションにいつも一緒に歌っている仲間たちがやって来てくれたのだ



まず、みんなで賛美、祈り

そして、Leonardのクワイアーだけでの賛美が始まった。

日本のWSで歌ったことがある曲もあった。これをVoceのみんなに聴いてもらえてよかった



いよいよ、私たちもクワイアーに加わる。

懐かしい「Heaven」でスタートした。歌詞を覚えられずにナーバスになっていたメンバーも、この曲で始まったことで吹っ切れたんじゃないかな?



何曲か歌い、献金が終わると私がディレクトする曲になった。

Morganが「彼女はNJの僕の教会で素晴らしい歌声を披露したこともあります。

そして、毎年はるばる日本からコンヴェンションに参加しているのです。」と紹介してくれた。

私はひと言だけ挨拶して、いよいよ曲が始まる。



「私の口を見てね。」と合図して、曲が始まった。

Homeyo Yesu wo~

ソプラノが歌いだし、テナー、アルトと日本語のパートが続く。

観客は「何だ」という感じだったが、みんなが日本語で歌っていることに気づくと歓声があがった。



Praise The Lord

ここからはもう大丈夫。この曲を知らないはずのバンドも入ってきた。

ドラムは・・・クリスタル

あとで聞いた話だけど、Emiの曲でドラムをたたくように言われたクリスタルは・・・

「パパ、それはコンサートのクライマックスになるね

と言ったらしい



演奏が終わった。

教会はHoly Spiritに包まれ、いつまでも閑静が止まらない。

Holy Danceも始まってしまった。

私はただただ神様に感謝していた・・・



その後、レナードからたくさんの人たちに感謝が述べられた。

1人ずつ呼ばれ、プレゼントをもらい、和やかなひと時だった。

私の前にいたスタッフの人が、「次は君だよ」と言ってきた。

私が



私の名前が呼ばれ、私はレナードの隣に立った。

レナードは私との出会い、私たちが日本でどんな活動をしているか、そして、日本において1%だけだったクリスチャン人口が確実に2%に近づいていると、力強く語ってくれた。Amen

私はをいただき、その場にいたVoce全員にも同じようにが渡された。

「クリーブランドに来てくれて、本当にありがとう」と言っていた。

こちらこそ・・・ホントにありがとう。



いただいたプレートには、私の名前があり、今日の日付と一緒にレナードとクワイアーから感謝の言葉が刻まれていた。







コンサートは再開された。

レナードが作曲した曲が、次々とメドレーのように続き、そして終わった。



ステージから降りると、次々と人がやってきて、「素晴らしかったわ」と言ってくれた。

コンヴェンションのFamilyは

「Emi、あなたができる子だってわかっていたけど・・・ホントにすごかったわ。あなたを誇りに思うわ」と、ハグの嵐だった



Michaelもいた。ものすごく痩せている。

「ねぇ、痩せたんじゃない?」と聞くと、「3ヶ月で50ポンド

20キロは痩せている・・・すごい、すごすぎる・・・

そして、癌の闘病で大変だったという奥さんも元気そうな様子だった。







ここ数日お世話になりっぱなしのJohnとは、あと数時間でお別れ







そして・・・ありがとう、レナード







ホテルに戻り、着替える。Johnと一緒にロビーで待っていたら、Morganもやってきた。

みんなで近くのスポーツバーに行き、またまた深夜に夕食を。

疲れ果てた私は、彼らの英語が全然理解できなくなっていた。

そして、隣のレナードが私に耳打ちを。

「僕、疲れすぎて、彼らが何を話しているのか、全然わからなくなっちゃった・・・」

おなじように抜け殻になっていた 続きを読む

部屋に戻り、お昼ごはんをどうしようかな・・・と思ったものの、あまり空腹も感じない。

必死になってワークショップの音源を聴いているけど、全然頭にも入らず。

しょうがないので、お散歩しながら聴くことにしてみた。

ちょうど出かけようと思ったら、ぽんこさんと合流。

しばらくお散歩を楽しみました。



子供向けの科学館



科学館の隣のスタジアム



殉職した消防士の慰霊碑



巨大なFreeスタンプ



街のいたるところにある、ギターのオブジェ



その後、ぽんこさんと別れて、1人でお昼ごはん。

ちょっと怪しいChinese restaurantで、エビチリとチャーハンを。



すると、レナードから電話が。

「Emi、寝てた?」「ううん、ごはん食べてる。どうしたの?」



レナードは大きくため息をつき、ショックなことを話し始めた。

今夜のコンサートのゲストシンガーがヒューストンから来ることになっていて、

レナードは飛行機のチケットも買って、送っていた。

しかし、彼女は何も言わずにキャンセルしたらしい。

空港にピックアップに行って、そのことを知ったという。

彼女とは長年の友人で、今までにも一緒にレコーディングをしてきた仲間だという。

こんなことをされるとは思ってもみなかったから、ショックとイライラでどうしたらいいかわからない・・・と。



「レナード、大丈夫だよ。私、あなたのために祈るし、Jesusが必要を満たしてくれるはずだよ!

今日のコンサート、絶対素晴らしいものになると思うよ!!」

そう言いながら、私は思っていた。

私にできることをしたい・・・せめて、無駄になったチケット代くらいは負担しよう。

いっぱいお世話になっているし、それくらいなら私にもできるはず



電話を切り、ホテルに戻り、コンサートにむけて準備を始めた。 続きを読む

クリーブランドに到着した時、レナードからお願いされていたことがある。

実は、私の滞在中、レナードの長女クリスタルの5th gradeのgraduationがあるので、

サプライズで参加してくれないか・・・というものだった。

クリスタルは私のことが大好きだから、きっと驚いて喜ぶだろうというのだ。

いいよと返事をしておいたんだけど、それが今朝。

コンサートの当日、午前中。昨夜はどしゃぶりの中、ホテルに戻ったのは深夜2時半・・・

でも・・・断れないよね



レナードも無理にとは言えなかったらしく、「朝電話するから、その時決めよう。」と言われていた。

電話がかかってきたのは7時。ねむっ

でも、なんとかいけそうな感じだったので、10時ピックアップという約束。



会場となるのは、昨日のインタビュー会場でもあったCleveland State University。

レナードは、奥さんのマリリンとクリスタルをおろしてから、私のホテルにやってきた。

日本の卒業式とは違うんだろうなぁ・・・と思ったのは、このバルーンを目にしてから。







会場に着くと、クリスタルが私を発見

「Emi~」と叫び、走ってきた。

周りの友達に、「あたしの友達なの 日本から来てるの」と大騒ぎ。

日本が大好きという男の子がやってきて、

「日本人?日本に住んでるの?」と、ワクワクしているようだった。



講堂に移り、レナード一家(レナード、奥さん、三女のカーリー、レナードのお姉ちゃん2人)と一緒に席に着く。

カーリーは去年遊んであげたけど、すっかり忘れてしまっていた



卒業証書を手渡す時、「お静かに願います。」というアナウンスがあったんだけど、

レナードが「アメリカ人にそんなこと言っても無駄だろう・・・」とつぶやいた。

どういう意味かな?と思っていたんだけど、すぐに理解できた。



卒業生の名前が呼ばれると、家族や友達が「Yeah

と、ものすごい歓声をあげるのだ。なんじゃこりゃ

「日本と全然違うわ・・・」と、レナードの家族に言ったら、「だろうねぇ。。。」と言っていた。



卒業生代表による、歌の披露・・・微妙な歌。

1人、フランキーみたいな卒業生がいて、レナードと2人でうけてしまった。

(右端の男の子)





全てが終わると、ロビーでケーキやジュースがふるまわれた。

すごいなぁ、このイベント。



家族そろって記念写真。

次女はお留守番でした。







その後、ホテルまで送ってもらい、夜のコンサートまでのんびりしました。

う~ん、昨日やった曲が全然頭に入らない・・・



続きを読む

この日はぽんこさんのbirthdayで、みんなでこっそりカードにメッセージを書いた。

帰ったらかなり遅かったので、近所ではごはんが食べられないという。

デリバリーでも頼んで、ホテルで食べようか?という提案もあったんだけど、

ぽんこさんにカードを渡して、おめでとう!とお祝いしたかった。

「疲れているところ、悪いんだけど・・・」と、Johnとレナードに事情を説明したところ

2人の車でBBQのお店に連れて行ってもらえることに。















おいしい~

深夜にこんなにすごいものを食べてはいけないと思いつつ

あまりのおいしさに手が止まらない。

ほとんど会話もせず、食べまくるみんな・・・



満腹になり、帰ろうと思ったところで、ぽんこさんのお祝いを忘れていたことに気づく

Happy Birthday to you~ とみんなで歌って、ぽんこさんにおめでとう!のカードを



さて、帰ろうと思って車に乗り込む。

なんか嫌な感じ・・・雷雨です。

激しい雨に前が見えないのに、レナードはのんきなもの。

助手席の私を見ながら話を続ける

「ちゃんと前見てよワイパーちゃんと動かしてよ

てな感じで私は大声を出し、レナードはあまりの大雨に笑いが止まらず・・・

恐怖のドライブは、永遠に続くのではないかと思われた



グッタリ疲れてホテルに到着。

あぁ、明日は朝早いのに・・・



続きを読む

ドキドキのインタビューが終わって、ホッとしたのも束の間。

本日のワークショップでは、guest Clinicianとして指導しなければならない・・・

しかも、教える前に何か話をしろと言われた

英語で教えるのだって大変なんだし、話なんてできないと言ったら

じゃあ、何も話さなくてもいいよ!と言われた。



さっきインタビューをしてきたレジーナが私を紹介。

日本のゴスペルブームの火付け役となったのが、

映画「Sister Act(天使にラブソングを)」だという話をしたのだが、

「私はとっても驚きました。『Sister Act』といえばウーピー・ゴールドバーグの映画というだけで、あれはゴスペルではないと私たちは考えるからです。」と、笑いながら言っていた。



さて、紹介された私。

サッサと教え始めようと思っていたのに・・・ぺらぺらと話を始めてしまった。

あれ 私、何やってるんだろう・・・

自分の意思とは無関係に口が勝手に動いているようだった。

さっきのインタビューとは大違い。なんて、もう1人の私が冷静に聞いていた。

自分の証をし、それから1曲をシェアすることになった。



「私は日本人なので、日本語の曲を教えます。」

"Sing Unto The Lord"は日本語で始まる。

日本語なんてほとんど知らないこの人たち・・・一体どうなるのかな?と思ったけれど、ちゃんとついてきてくれるではないか

途中まででやめようかな?とも思ったんだけど、結局最後まで教えてしまった。

意外なことに、彼らは日本語の曲をとても喜び、レナードは「明日のコンサートで歌おう!」と言った。

大丈夫かい



とりあえず無事に教えることができた。

昼間のインタビューといい、このワークショップといい、かなり集中していたためだろうか、疲れ果ててしまった。



ダリウスがやってきて、もう帰らなければならなくなったという。

最後にみんなで写真を撮り、またね~とお別れ。



この日、更に数曲を習ったんだけど、疲れ果てている私の頭には何も入らず

とりあえず、歌詞にドレミだけ書き込んでおいた。



ワークショップ終了後、やっと会えたクリスタルと記念撮影







続きを読む

ランチを食べ終わり、ちょっとナーバスに。

これからCleveland State Universityの教授によるインタビューがあるのだ



レナードの友達で、以前はクワイアーメンバーでもあったレジーナ教授は

「クリーブランドにおける、アフリカンアメリカンの宗教的慣習と文化に関する研究」をしており、私とレナードのゴスペルを通しての結びつきや活動に関してのインタビューをすることになっていた。

もちろん英語だ。超ブルー



大学が広くて、音楽科にたどり着くまでひと苦労

レジーナは優しそうな女性だった。



部屋に通される。グランドピアノとビデオカメラがが置いてあった。

「じゃあ、最初に1曲歌ってもらいましょうか。」

・・・聞いてないんですけど・・・

しかも、録画。発声もしてないし、水もない・・・はぁ。



レナードも慌てて、ちょと打ち合わせをし、"His Eyes Is On the Sparrow"を歌った。

ついでにレナードも・・・と言われ、"Everyday Is A Day Of Thanksgiving"の弾き語り



続いてインタビュー。

レナードと2人でグランドピアノの椅子に腰掛け、レジーナの質問に答えていった。

時々、何を答えたらいいのかわからなくて、レナードに助けを求めたりした。

日本ではどのようにゴスペルが広がっていったかとか、

今はどんな状態か、レナードとどのように知り合い、それがどのような影響を与えていったか・・・など。



いやぁ、緊張したわ。

そして、英語をもっと勉強しなければ・・・と思ったのでした。

レナードは「よくやったよ!」って言ってくれたけど、自分では納得いかなかったもんなぁ。



続きを読む

12時にロビーで待ち合わせ。

Lolly the Trollyというバスツアーに向かう。

ドライバー兼ガイドのおばちゃん曰く、他にもツアー参加者がいるし、ガイドの流れを妨げないように通訳は小さな声で・・・と言われた。う~ん・・・

これがそのバス。かわいいでしょ。







クリーブランドには元々たくさんのインディアンが住んでいて・・・

川の西側と東側で、街の様子がだいぶ違う・・・

橋の上から、広く曲がりくねった川の様子が見える・・・

などなど、間をおかないでガイドが続く。

通訳する間もない。



レナードは、私がガイドを理解できなくて通訳していないと思ったらしく、

隣でガイドと同時に簡単な英語で通訳補助をし始める

余計わかんないし

途中から、必要だと思われる箇所のみを通訳。

ま、説明がなくても楽しめるツアーではあったんだけどね。









エリー湖に浮かぶ潜水艦





インディアンズの本拠地のスタジアム



ツアーが終わり、ホテル近くのフードコートでランチ。

何を食べようかな・・・と歩いていたら、レナードが誰かと話しているのを発見。

なんと、コンヴェンションで楽曲提供をしてくれている通称「ビブラートマン」のJohnだった

クリーブランドに住んでいるんだって。

でも、明日のコンサートには来れないという・・・残念!







ランチを食べ終わり、みんなはお休み。私は、レナードと一緒にCleveland State Universityへ。





続きを読む