アメリカに行くと、必ず買うもの。

Lay'sのポテトチップス・・・Baked







普通のポテトチップスと全然違うんです。

なんてったって「Baked」ですから、揚げてるんじゃなくて、焼いてるの。



今回、ツアーで「あれが私のお気に入りなの」と、みんなに教えたんだけど

それが最後の日だったかな・・・

もっと早く教えてあげれば、みんなも食べることができたのよね。すまん。



帰りので、隣に座っていたふくちゃんが

「はい、どうぞ」と、これを出してくれた

いい人だ・・・と思ってたわけ。



そして、昨日。

来年まで食べれないんだよねぇと思っていた私に

サプライズのが。

「はい、先生。」とバーバーヌピがくれたのは・・・

Lay's Baked !



個人輸入のため、かなり粉っぽくくだけた音がしましたが

それでもヌピの優しさに感激



Lay'sのポテトチップスは、日本でもあちこちで見かけるようになったんだけど

なぜかBakedシリーズが入ってこない・・・

誰か、これを輸入・販売するように、どこかの会社に働きかけてくれないかしら

絶対売れると思うんだけどなぁ・・・



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基本的に、休みの時は家でごろごろする(外に一歩も出ない)のが大好きな私だが

旅先になると活動的になる

せっかく毎月下関に来ているんだから、スケジュール調整しておでかけをしようと思い始めた。

ちょっと足を伸ばせば、九州にも行けちゃうわけなので。



というわけで、今回の行き先は大分

以前、秋吉台のサファリランドに行ったら、とっても楽しかったので(人生初サファリ)

今度は大分のアフリカンサファリに行ってみようと計画していた。



お抱え運転手のしのっちは、前述のようにノートパソコンを持ってきてくれて

Musical Celebrationを見ながらのドライブ・・・となるはずでしたが

高速に乗る前に電源が切れた



大分で是非と思っていたのが、以前機内で見た番組で気になっていた

宇佐市の「がん汁」







生きたままのもずく蟹を殻ごとすりつぶして、水にさらしてこし、醤油味のお吸い物に。

蟹好きの私にはたまらない一品



で、サファリもいいけど、がん汁もと思っていたわけ。

しかし

今ではなかなか食べることができないらしく、料亭に2日前までに予約を入れなければならないそうで・・・

次回は「がん汁」のためだけに宇佐市に行こうと決意。



さて、悲しいかな、この日は

最初のうちは楽しかった・・・何も考えていなかったので。

でも、「雨の日って、動物たちはどうしてるのかな・・・」「木陰で雨宿り」という会話ののちに沈黙

高いお金を出して入園し(1人\2300)、ほとんど動物見れないなんて悲しいよねぇとなり、目的地変更に。



そして、最近バージョンアップしたはずのナビが・・・2年前の情報ゆえ・・・

新しい道がわからず、ぐるぐると同じ道をさまようはめに

遂に、ナビがあるにも関わらず、地図を見ながら指示を出す私。

はい、一応地図は読めます 助手席専門の人間なので。



そして、このまままっすぐ行けば水族館があるから、そっちに行こうか?と行っていたら

なにやら心ときめく施設を発見

豊後高田 昭和の町

ここに行こうと、昭和の女の血が騒ぎ出す



まず、「昭和ロマン蔵」に入ると・・・

こんな感じ。







しかも、撮影可という素晴らしさ

大騒ぎしながら写真を撮りまくる私



みなしごハッチを見れば、主題歌が頭の中に・・・







一番右のヤマトのLP、我が家にありました・・・







ガッチャマンは、コンドルのジョーが好きでした。

およげたいやきくんは、初めて買ってもらったレコード。







この辺のシングルは、高校生の時に中古レコード屋さんで集めていたから・・・どこかにしまってあるはず。







わかりにくいけど、お弁当箱。白雪姫のを使っていた記憶が。







なにしろすごい数のコレクション。







他にも、絵本の美術館とか、駄菓子屋さんとか、昔の家を再現したものとか、それはそれは素敵な空間でした。

そして、給食メニューが食べられるというお店に行き、なつかしの「ソフト麺」を食べました







私の記憶では、もうちょっと太かったような・・・あ、あれはうどんの方かな?

でも、子供に戻ったような気がして、楽しかったわ。



普通のお店とも共存していて、素敵な町おこしだなぁ・・・と思ったのでした。

機会があれば是非どうぞ



帰り道はといいますと、昨年のクリーブランドツアーを彷彿させるようなどしゃ降り

しかし、時差ぼけに襲われ、普段は車の中では絶対に眠れない私なのに、爆睡

すみませんでした・・・

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先週、私のアメリカ滞在中に天に召されたBishop Kenneth Moales・・・

未だに悲しみから抜け出せない部分もある私です

Bishopの葬儀が、ネットで中継されると知り、下関のホテルで見ることにしました。



現地時間で、日曜の夕方5時からMusical Celebration、午後10時からHomegoing Serviceです。

ということは、日本時間で月曜の朝6時からと、夜11時からとなるわけで・・・



日曜の夜、アラームをセットし忘れたのに、朝6時ジャストに目が覚めた私。

これはBishopが起こしてくれたのではと、慌ててネットに接続

すると、こんな映像が。右下には、Bishopが棺の中に横たわっているLIVE映像も。







こうして横たわるBishopの姿を見て、改めて「本当に亡くなったんだなぁ・・・」と実感したという仲間がたくさんいました。

みんな、この中継を見ながら、facebookでそれぞれの思いをつづっていたのです。

レナードの奥さんのマリリンからも、「Emi、ネットで見れるわよ」と、わざわざ携帯に連絡が来ました。



遠く離れた日本からも、こうして葬儀の様子が見ることができ、その時を共に過ごすことができ、

インターネットが発達しているこの時代に感謝でした。



Musical Celebrationは、まさに音楽でBishopが天国に旅立たれたことをお祝いするという感じ

もちろん、みんな悲しんでいるわけだけど、それでも賛美するのがクリスチャン。

教会のプレイズチームが「Lord, You're Awesome」と賛美し始めた途端に、悲しみに包まれていた教会の雰囲気ががらっと変わりました。



そして、次々とゲストが現れ、Bishopとの思い出を語り、賛美を続けていくのでした・・・

素晴らしい



たぶん4時間くらいで終わると思っていたので、出かける予定があったのですが

スタートが6:45くらいになっていたので、なかなか終わる気配がなく

ピックアップを30分遅らせてもらったんだけど、それでも最後まで見れそうになく・・・



残念だなぁと思いながらホテルを出たら、なんと迎えに来てくれたしのっちが、ノートパソコンで同じ映像を見ながら来たではありませんか

そう、彼もコンベンションには3回参加していて、Bishopのことを直接知っている人なのです



助手席でパソコンを抱き、続きを見ていたら・・・コンベンションのファミリーが壇上に上がり、コメントを始めました。Thomas A. Dorseyの娘さんと、Derrickでした。

Bishopなしにはここまでコンベンションは成長しなかったであろうこと、彼なしには私たちの結束はなかったであろうことを語り、会場に集まっているコンベンションの仲間たちによる「Precious Lord, Take My Hand」の大合唱。

私も涙しながら一緒に賛美しました



しかし、このあたりから電波がおかしくなり・・・そして、遂には充電切れ

この後、誰がやってきて、何を歌ったのか、さっぱりわかりません

が、それまでのCelebrationの様子をしのっちが録音しておいてくれたので、それを聴きながら目的地へと向かいました



ちなみに、ゲストが入れ替わる度にこの画面が表示されました。







わかるかな?

09/21/45-09/20/10って書いてあるの。

1945年9/21がお誕生日で、2010年9/20に亡くなったんです。

しかも、亡くなったのは深夜だったので、あと数分でバースデーだったわけです。



実は、これは私の目指すところで

私は誕生日に洗礼を受けているので、亡くなる日も同じ日にしたいなぁ・・・と思っていまして・・・



引き続き、Bishopのご家族のため、偉大なる牧師を失った教会のため、今後のコンベンションのために祈っていきます





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日曜日の礼拝後、小倉の映画館で「海猿」を観てきました。

なぜ「海猿」と思われた方もいらっしゃるかも・・・



実は、昨年8月、

ちょうど下関レッスンであっちに行ってる時に、ロケを目撃したのです

地元ではエキストラの募集もあり、某Sっちは応募したのに落ちてしまいました

そんなエピソードがあったので、下関が映るかもという期待をこめて

観に行ってきたわけです。



初3Dでしたが・・・

めがねの上から3Dめがねがうまくかけられず

自分のめがねをあきらめ、3Dめがねだけ着用。

でも、なんとなくしっくりこなくて、手で押さえながら見てました。もうちょっと改良できないかしら



結局、これ門司?下関?という映像は、ラストシーンくらいでしたが

なんとなく「いやぁ、良かった、良かった。」と、地元民のように喜んできました。

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今回のツアーには、八王子のヌピが初参加。

ヌピと言えば、レナードのひげを剃ってくれた床屋さん



こちら、その時の写真







クリーブランドに到着し、レナードと再会した時に

「Oh, my barber(僕の床屋さんだ)」と、喜んでくれたのでした。



ここで、日本語をどんどん覚えてしまうレナードに教えたのは・・・

「バーバーは床屋さんだけど、ババーは意味が変わっちゃうから気をつけないとダメよ。」

すると、「Okay, no ババー。バーバー・・・」とつぶやくレナード。



レナードはきれいな日本語をマスターしたいそうです。

そして、日本語で私たちがおしゃべりしていても、なんとなく内容がわかるまでに・・・

秘密のおしゃべりもできなくなってきました

みんなも気をつけましょう。 続きを読む

そうそう、これは書かなきゃと思っていた、ちょっとまぬけなエピソードが。

下北のふくちゃんは、とってもいい人なんだけど、「残念」という称号が与えられている。

次々とドジをやってくれるので、場の雰囲気がなごむんだけど・・・残念



帰りのでも隣の席だったんだけど、ふと目を覚ますとゴソゴソ何かをしている。

「どうしたの?」と聞くと、めがねを落としたみたい・・・という。

確かここに入れたはずなんだけど・・・と、シートポケットを探っている。

「電気つけてごらんよ。」と言い、明るくして探していたら、足元に落ちているのを発見。

「下にあるじゃん。」「あれ?見えなかった・・・」



しばらくすると、私はまた寝ていた

また隣でゴソゴソやっているので、「今度はどうした?」と聞くと、

シートの頭の部分についているペーパーが髪に張り付いたという。

昔はマジックテープだったような気がしたけど、今はかなり強力な粘着力のテープのようだ。

ゴキブリホイホイのような感じで、もがけばもがくほど髪はからまり、

1人で闘っている間に、すごいことになっていた。

あまりにも気の毒なんだけど・・・私は大爆笑

笑いながらはがしてあげたけど、あれは1人じゃはずせないわ。

いやぁ、伝説作るねぇ・・・と言って、しばらくは寝ることができなかった。



またしばらくすると、私は寝ていた。

が、またまたゴソゴソしているふくちゃん。

「今度は何なのよ。」「まためがねがない・・・」

おいっ

さっきと同じように探しているけど見つからないというので、私が見たら・・・

さっきと同じところに落ちていた。

「同じところに落ちてるけど

「あれ?」



・・・・



以上、ふくちゃんらしいエピソード3連発でした。 続きを読む

朝6時。スーツケースを持って、ロビーに集合。

レナードも既に来ていた。

はぁ・・・帰りたくないなぁ



帰りもリムジンで空港まで。

車の中で、11月のワークショップの打ち合わせに。

そういえば、Bishopのことでバタバタしていたから、全然打ち合わせできなかったなぁ。



今回もレナードにはめちゃめちゃ世話になり、食事代もほとんど払ってもらったので、みんなからの謝礼に食事代を上乗せして渡そうと思っていたんだけど・・・

カードで支払うはずだったホテル代も、レナードが支払済みで、私は現金でレナードに○○○○ドルを支払わなければならず

そして、銀行のカードだと、1日におろせる限度額があったため、毎日何百ドルかおろしたんだけど、間に合わなかった

最後に空港でおろせばなんとかなると思っていたのに、なぜか100ドルしかおろせず



「レナード・・・これ、半分だけどお礼残りは日本に来た時ね」と言って、思っていた額の半分だけをなんとか渡した。

そう、あと1ヶ月半もしたら、またレナードに会える



笑顔でさよなら



手荷物のチェックを受け、もう大丈夫・・・と思っていたら、また光代さんが止められていた。

かばんに水が入っていたらしく、「捨てていいのか?」というやりとりも理解できていないようで・・・

かばんだけをチェックしなおすのに、自分もセキュリティーゲイトに向かってしまい、

「光代さん、そっちに行ったらダメ」と、私に怒鳴られる始末



さて、ニューアークに向かう私たちと、ラガーディアに向かう景子も、ここで別々に。

今度は12月かな?日本で会おうね!



ニューアークまでの機内で、レナードにもらったパウンドケーキを食べる。ちょっとせつない。

無事にニューアークまで到着し、1時間だけ自由行動。

いつも寄っているお店がなくなってしまったので、別のお店で軽い朝食を。

クラムチャウダーがあると書いてあったので入ったお店は、ブレックファーストメニューのみと言われ・・・

シナモンロールのフレンチトーストを注文。

出てきたら・・・でかっ







そして、無事に飛行機に乗り込み、成田へと・・・

とりあえず、全員で無事に帰国できました。

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朝9時過ぎ、レナードからの電話で目が覚めた。

「Emi、大丈夫かい?」と聞いてきたレナードの方こそ、大丈夫ではないみたいだった。ひと晩中電話し続け、ほとんど寝ていないらしい。

1時間以上おしゃべりをして、「よし、シャワーを浴びて、今日もがんばろう!」となった。



今日はJapanese restaurant WASABIでのランチからスタート。







いわゆるアメリカにある鉄板焼きのレストラン。目の前でcookしてくれるスタイル。

入り口には滝があり、竹が生い茂り・・・ゴージャス。

おとといまでBishopのバースデーパーティーに行っていたアメリカのママと1ヶ月ぶりの再会。







どんなにショックで落ち込んでいるだろうと思っていたのに・・・

「最近、Bishopは歩かなくなっていたもんねぇ。車椅子ばかり乗って。やっぱり歩かないとダメよねぇ・・・」と言ってた。

確かにそうなんだけど



好きなものを頼んでいいと言われ、メニューとにらめっこのメンバー。ランチは8-19ドルくらいで、お手ごろでした。







最初に出てきた寿司ロール。よくわかんないけど、おいしかった。







別にやらなくていいんだけど、ちょっとしたショーっぽいことをやってくれるのがアメリカの鉄板焼きのお店。

ちなみに、このお兄さんはインドネシア人でした・・・予想外の国籍に、一同爆笑。「絶対中国だと思ったのに







味は、と言いますと・・・バター&ガーリックでぎとぎとの、決してヘルシーではないアメリカの日本料理を堪能・・・という感じかしら。

ここではママの兄弟のJellyがおごってくれました。みんな太っ腹



ホテルに戻り、ちょっとひと休み。・・・のつもりが、おしゃべりしてたら時間になってしまった。

昼寝ゼロで最後のセミナーに向かう。



今日の会場は、昨日と同じ教会だけど、去年のワークショップと同じホール。

前回は6月で暑かったんだけど、なぜか今日もとても暑い







最初のレクチャーは、Amazing Graceが普通の賛美歌スタイルからどんどん変化していく様子などを歌を交えて説明してくれた。とてもわかりやすかったんだけど・・・適度な暑さ+窓から入る心地よい風は、寝不足の私にはつらすぎました

しかも、レコーダーを忘れるという、とんでもない失態



レナードに紹介され、私が1曲シェアすることになったんだけど、「景子に1曲弾かせて」と合図し、突然景子が演奏することに

「こんにちは~ Praise The Lord~」と、景子らしい挨拶をして、ピアノに向かった。

賛美歌What a Friend We Have in Jesus(いつくしみ深き・・・)を弾き始めたんだけど

最初の1音で涙が出てきてしまった。



15年前に知り合い、一緒に歩んできた。

同じようにゴスペルを通して救われ、今、別々の道を歩き始めた私たち。

神様、どうか景子の歩いていく道を祝福してください・・・そう思わずにはいられなかった。



変なところで泣いてしまい、教えることができる状態ではなかったんだけど

景子とのことをちょっと話し、気持ちを切り替えて曲のシェアに。

今回はドニーの「Hallelujah Song」を英語と日本語で。普段歌っていない部分も日本語にしたので、ちょっとやりにくかったけど、みんな一生懸命賛美してくれた。

気がつけばレナードのママ、礼拝があるから来れないと言っていたマイケル、コンベンションの仲間たち、みんながそこにいて、一緒に賛美していた。



最後に輪になり、レナードが歌い始め、ウォルターの「Jesus Christ Is The Way」をみんなで賛美した。

今年のコンベンションでもMass Choirで賛美したなぁ・・・Bishopも聴いてくれていたなぁ・・・

そう思っていたら、レナードが口を開いた。

「私の人生において、大きなインパクトを与えた、偉大な人がこの世を去りました。ここにいる多くのコンベンションファミリーにとって、大切な人・・・」

涙を浮かべ、こらえながら話し始めたレナード。

私は思わず声をあげて泣き出してしまった。少し離れたところからも同じような声が。Bishopと親しかったコリーンだろう。



泣きじゃくる私に、誰かがティッシュをくれた。

涙をぬぐいながら祈り続け、セミナーは終わった。

みんなとハグして、ふぬけになっていたら、いつの間にかほとんどの人がいなくなっていた・・・



さぁ、最後の夜。

今日はコンベンションの大御所ピアニストのマーセラが、自宅でソウルフードを作って待っているという。

大勢でおしかけちゃいました。











全部1人で作ったんだって



山盛り取っちゃった。だって、最後なんだもん。

初めて食べたバーベキュー豚足。最高です







楽しいディナーには、コンベンションの仲間もかけつけていた。

なんだかBishopが天国へ旅立ったのをお祝いしているような、そんな気分になった。

マーセラとは初めてまともにおしゃべりしたの。手の届かない大御所だと思っていたのに、気さくなおばちゃんだった。







みんなもお腹いっぱい食べて、クリーブランドの人たちとのフェローシップも楽しめたよう。

この笑顔。







気がつけば深夜0時

明日は朝6時にホテルを出発しなければならないので、慌てて帰る。



レナードは翌日から普通にお仕事だというし・・・ちょっとでもいいから寝てね。

昨日はほとんど寝ていないんだから。



私たちはパッキングして、4時半には起きないと











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セミナーが終わり、遅い時間なのでレストランはほとんど閉まっていて・・・

なんとか近所のスポーツバーに行って、チキンとサラダだけをオーダーして、みんなでシェアしていた



すると、真夜中にも関わらず、もうシンシナティーに帰ったパスターロドニーからレナードに電話が。

レナードがEmiが出ろというので、「Hi Rodney, how are you doing?」と明るく電話に出た。

すると、ロドニーの声は暗く、私に「Bishopが・・・」と言ってきた。それはとんでもない事実だったので、間違っていたらいけないと思い、「ちょっと待って。聞き間違ってるかもしれないから、レナードに代わるわ。」と言って、電話を渡した。

レナードの表情がくもり、「まじかよ・・・」と言って、席を立って、奥の静かなスペースに移動した。

私が聞いたのは、「Bishopが心臓発作で倒れた」ということだった。



Bishop Kenneth Moales・・・彼は私たちのコンベンションのプレジデントであり、偉大なる牧師である。

その存在感は誰も代わることができないほどで、あれだけの大きさのコンベンションが見事にまとまっているのは、彼がいるからに他ならない。

倒れた?確か、彼の誕生日で、全米中から仲間が集まり、バースデーパーティーをしたばかりじゃないの



レナードが戻ってきた。

私が聞いたのは間違いではなく、事実だった。

「レナード、明日のセミナーでみんなで祈ろうよ。」「うん、絶対に」



そして、ホテルに戻った。

みんなは部屋に帰ったけれど、レナードの電話が鳴り止まず、私も一緒にいた。

マイケルからの電話を受けて話していたレナードが、突然私から離れて、既に閉まっているレストランの方まで歩いていき、行ったり来たりしながら上を見上げたり、首をふったりし始めた。

もしかして・・・いや、きっとそうに違いない。

私は体が凍りつくのを感じた。



レナードが帰ってきた。目に涙を浮かべて。

「Bishop is gone...」

Bishopは天に召された。あまりにも突然に。



私は声をあげて泣いてしまい、レナードも崩れ落ちるように私の隣に座り、私の手を握り締めた。



つい1ヶ月前、日本から毎年来てくれている彼女たちに・・・と、私たちに賞をくれたBishop。

日本でコンベンションを開催したいんだけど、手伝ってくれるかい?と聞いてきたばかり。

来年は私にとって10回目の記念の年だと伝えたら、じゃあお祝いしなくちゃね!と言ってくれたBishop・・・

もう話をすることもできない。



同じホテルに泊まっているケビンに電話をし、下にいるから来てくれと伝えた。

3人でロビーのソファーに座り込み、動けないまま時は過ぎていった。



みんなに伝えなきゃ!と、アメリカ各地に散らばっているコンベンションの仲間たちに電話をし続けた。

レナードは「今、隣にEmiがいるんだけど・・・」と言って、何人かとは私も話ができた。

みんなショックを受け、でも必死になって互いを励ましていた。



少ししたら電話が落ち着いた。

私は先月もらったTravel Awardの封筒が空っぽだったことを思い出し、

「レナード・・・あたし、もう空っぽの封筒のことも聞けないんだね・・・」と言って、また泣き始めてしまった。



今年の礼拝では、何度も私たち日本人のことを話していた。

「あんなに遠い日本から、彼女たちは毎年やってきてくれている。彼女たちに祝福があるように・・・」と。

私は全然特別な存在ではないのに、いつも気にかけてくださっていた。



レナードに、明日のランチはキャンセルしていいよと言ったけど、

「Bishopがここにいたら、予定どおり普通にやりなさいって言うだろ?」と言ってくれた。

2時くらいまで泣き続け、部屋まで送ってくれた。あの後も、レナードはほとんど寝なかったはず。



先月、「来年はお祝いしよう!」と言ってくれた時のBishopの姿。

まさかこんなに突然お別れすることになるなんて・・・



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去年のツアーでお買い物が全然できなかったため、今回はモールに連れて行くことになっていた

レナードとお友達の2台の車で移動し、2箇所のモールに。

お友達曰く、「女はみんな買い物が好き。たとえ言葉が通じなくても買い物はできる」だそうだ。そのとおり



最初のモールは、こちら。







1時間くらいしか自由時間がなかったので、回りきれるわけもないのだが、Macy'sやJC Pennyも入ってます。

ここで、かつらちゃん改造計画に燃える私たち

いっぱい買ったけど、めちゃめちゃ安くて、みんな大満足。



2つ目はここ。







ちょっとした街のようになっていて、さっきのモールよりも広そう。でも、ここも1時間しかなく、回りきれるわけもなく・・・

来年は、1つのモールを最低2時間という話になった。



そして、これだけ短い間にも関わらず、これでもかと買いまくってきたみきちゃん。

ネットオークションをやっているらしく、capを10個とか買っていた。どうやって持って帰るんだろう



予定よりも買い物に時間をかけてしまい、ランチが遅くなった。

レナードがピザをオーダーしておいてくれた。

RASCAL HOUSE PIZZA







とってもおいしかったよ~







ホテルに戻り、ほんの少しだけ休んで、International Gospel Music Seminnarに出かける。

会場は去年と同じ、Trinity Cathedralだけど、ちょっと狭いリハーサル室。でも、天井が高くていい。

コンベンションの仲間がたくさん来てくれていた。











去年、私たち全員にプレゼントをくれたおばちゃんが、今年も全員にかわいい手作りのBagをくれた。中身もいろいろ。

私は特別に大きなBagで、Faithとラインストーンで書かれている。







そしてビックリ、Voceのワークショップで2回ほど日本によんでいたデビッドが来てくれた。

真ん中はコンベンションの仲間のジョン。







昨年に引き続き、私は講師という立場になっている。

でも、昨年はコンサートを控えたワークショップ、今年はセミナーということで、じっくり教えるわけにはいかず、流れを大切にしなければ・・・難しい。



最初はJohnがアフリカンアメリカンの賛美歌の歴史という感じの講義。

クリーブランド州立大学の教授で、去年私がインタビューを受けたレジーナが、年代ごとのゴスペルミュージックの流れを、歌を交えて説明。

私はアフリカンアメリカンだけではなく、今ではこんな風にゴスペルも変化してきている・・・ということで、日本語を交えた賛美のレクチャー。

また別の牧師が出てきて、トラディッショナルな賛美を参加者全員が歌っていく。

最後はマイケルの「All Is Well」を全員で大合唱

この曲はコンベンションでも定番の曲となっていて、いつも会場が震えるほどの賛美になる。



こちら、マイケル。







正直いって、英語が苦手なメンバーにとっては、かなり難しくてちんぷんかんぷんのセミナーだったと思う。

でも、わからないなりに賛美が始まれば食いついてきてくれたし、これが本来のゴスペルの姿なんだとわかってくれたのではないかと思う。



私に与えられた役割は、そのままのゴスペルというものをみんなに伝えることだと思っている。

たとえるなら、日本では日本人向きに味付けされたタイ料理が出されるけれど、現地にいけば日本人にはちょっと刺激が強すぎる、パクチーだらけのタイ料理が出てくる。

私が紹介したいのは、みんなに好かれるゴスペルではなく、実際にアフリカンアメリカンの人たちが賛美しているゴスペルである。

それを私たちが完全に再現できるわけもないが、ゴスペルとはそういうものだと、賛美とはそういうものだと知ってもらいたい。



さて、今回の参加者は、それをどこまで感じてくれたかな・・・



セミナー終了後、コンベンションの仲間たちとおしゃべり。

明日は教会でリハーサルがあるから、来ないつもりだったんだけど、とっても素晴らしいセミナーだから、そっちのリハーサルはさぼってこっちに来ると言ってくれた。

彼女たちにとっても、昔を振り返ることはとても大切なことだと言っていた。

さすがレナード、このセミナーすごいわ・・・









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